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灘簡易裁判所 昭和30年(ハ)117号 判決

原告 高瀬栄一

被告 国

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し、金四七、二七一円に昭和二九年六月一七日以降年五分の割合の損害金を附加して支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする」との判決並に仮執行の宣言を求め、その請求原因並に被告の主張に対する答弁として次のように述べた。

(一)  原告は神戸市葺合区脇浜町三丁目川崎製鉄株式会社の工員として就労中、昭和二三年一一月一九日負傷し、神戸市川崎病院その他で加療したが、全治にいたらなかつたので、神戸東労働基準監督署長に対し、労働者災害補償保険法(以下労災法という)に基く保険金の給付を請求したところ、同監督署長は昭和二七年二月九日原告の身体障害を労災法第一二条別表の七級と認定して、同等級による保険給付の決定をなした。

原告はこの決定を不服とし、神戸地方裁判所に右決定取消訴訟(昭和二七年(行)第一二号保険給付決定変更請求事件)を提起したところ、同裁判所は昭和二九年三月二二日原告の身体障害を前記別表の三級に該当するものとし、右七級に基く保険給付の決定を取消し、右判決は確定した。そして、前記監督署長も原告の身体障害を三級と認定し、昭和二九年六月五日右七級と三級との保険金の差額金四〇八、二一九円の支払をした。

(二)  ところが、原告の身体障害は本来前記別表の三級と認定しなければならないものであつて、右監督署長がこれを先に七級と認定したのは、次の理由により、同署長の故意又は過失に基くものである。

すなわち、

(1)  原告が受けた傷害に基因する身体障害は(イ)外傷性右偏癰症(ロ)外傷性背椎変形症(ハ)外傷性神経症の三つであるが、右障害の内最も重い(イ)の外傷性右偏癰を脱漏し、他の(ロ)(ハ)の二個の障害につき夫々労災法施行規則別表第一身体障害等級表の第八級の三号、第一二級の六号と認定し原告の身体障害の等級を決定した。特に、兵庫労働基準局専属医師竹田某は原告の身体障害を右等級表の第三級の三号「精神に著しい障害を残し、終身労務に服することができないもの」とすべきであるとの意見を提出しているにかかわらず右意見を無視して前記認定を下したのは故意に不利益な認定をしたというべきである。

(2)  更に、原告の身体障害は、将来においても、コルセット装着、鎮静剤の投与等を必要とし、労働に堪えないものである。この障害は数個の障害の綜合的結果であるが、負傷者の迷惑を蒙むるのは結局において綜合的身体障害であるから、身体障害の等級を決定するには、この綜合的障害の程度を無視すべきではない。この見地からすると、原告の身体障害は前記等級表第三級の三号に類似しているから、数個の障害の等級を各別に認定するに当つても、繰上等の規定を適用して右三級になりうる様な等級に認定しなければ綜合的に観察した身体障害との間に権衝を失することになる。(労災法施行規則第六条第四項の適用によつて認定に融通は利く)

しかるに、被告は、前記監督署長において、原告の身体障害中(イ)の外傷性右偏癰をもつて本件負傷に起因したものと認め、かつ、原告の右上下肢の運動緩慢の点を前記等級表第八級の三号(「神経系統の機能に著しい障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」)に、また、原告の右肘関節の角度制限の点を前記等級表第一二級の六号(「一上下肢の三大関節中の一関節の機能に障害を残すもの」)に該当するものと認定したというのであるが、原告の身体障害中、右偏癰症と神経症とは全く別個のものである。前者は一口に言えば、右側半身痳痺であつて、これがため運動の障害を来たすものであり、後者は、そのあらわれとして短気で怒り易く、積極的でなく、根気に乏しいという精神的のものである。この異つた二つの障害を一つの障害として右等級表第八級の三号というが如き低位に認定したことには、重大な過失ありといわねばならない。

(三)  しかして、前記監督署長が原告の身体障害を昭和二七年二月九日に、労災法第一二条別表の三級と認定していれば、原告は同日金四〇八、二一九円の保険金の支払を受け得たものであるのに、同署長が七級と認定したため、原告は昭和二九年六月五日に金四〇八、二一九円の支払を受けるのやむなきに至つた。

よつて、原告は右署長の前記故意又は過失に基く損害金として、昭和二七年二月九日から同二九年六月四日に至る間の右四〇八、二一九円に対する年五分の割合による金四七、二七一円及び同署長に対して右金額の支払請求をした昭和二九年六月一七日から右支払済に至る迄年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(四)  被告主張の答弁事実(一)は認める。答弁事実(二)で被告が主張する原告の病歴は、原告が負傷後治療中における病状にすぎない。被告主張の頭部打撲病、頭部挫傷の如きはただ負傷の場所を挙げているに過ぎずして、原告の身体に残された障害である前記偏癰症、神経症はいずれも右頭部打撲症の結果脳機能に障害を来たしたためとも認められる。労災法第一二条第二項、労働基準法第七七条によると、障害補償の等級を決定するには、負傷が治癒した当時残された障害の程度を基準とすべきものであるから、本件の場合は乙第四号証(甲第三号証)の記載を標準として決定すべきであつて、治療の経過中における病状を検討して等級を決定したことは違法である。(立証省略)

被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として、原告主張の請求原因(一)の事実は認めるが、その他の事実は争う。神戸東労働基準監督署長が、原告の身体障害を第七級と認定したことには過失がない。以下同署長が資料に基いて右第七級の認定をした経緯を明かにする。

(一)  原告は、昭和二三年一一月一九日負傷と同時に川崎病院に入院し、以来同二四年二月二一日まで同病院の入院患者として治療を受け、同年二月二一日退院後も同二五年六月五日まで同院に通院加療を受けたが、同日頃医療機関を神戸市中央市民病院に変え、なお、同二五年一二月二三日からは大阪大学医学部附属病院(以下阪大病院という)に通院加療を受け、その間同二六年九月二八日神戸東労働基準監督署長に対し、症状が固定したとの医師(阪大病院)の証明書(乙第四、六号証)を提出し、障害補償費を請求したので、同署長は、労災法第一二条第一項第三号、第二項、労働基準法第七七条の規定により原告に対し障害補償費を支給することとし、原告の障害が労災法別表第一の身体障害等級表のいずれの等級に該当するかを調査した。

(二)  しかるところ、原告提出の阪大病院医師の証明書(乙第四号証)によれば右九月二八日当時原告の傷病名は外傷性右偏癰兼背椎変形症兼外傷性神経症とされているが、同署長が原告を治療した各病院から送付にかかる療養補償費請求書により調査した結果及び原告が負傷以来一年七ケ月間治療を受けた川崎病院の診療録(乙第一ないし三号証)とを対照検討したところによれば、原告の病歴は次のとおりであつた。

イ、昭和二三年一一月一九日負傷当初の病名は、頭部打撲症。

ロ、同二五年三月二日から同年五月三一日までの病名は後頭部挫傷と外傷性内耳震盪症。

ハ、同二五年六月五日から同年一二月一二日まで外傷性内耳震盪症、同上下肢痳痺、同神経症。

ニ、同二五年一二月二六日から同二六年九月二八日まで外傷性半身不随兼背椎炎。

(三)  しかして、右九月二八日頃の原告の症状をもととして、阪大医師認定の右諸疵症につき検討した結果は、

(イ)  偏癰症については、原告の身体を直接検査した労働事務官久保田忠明の検査結果(乙第五号証)及び右阪大病院医師の証明書によれば、右上下肢の運動に鈍痳があつて、動作が同年令の普通人に比べて幾分緩慢であり、また、運動領域について右肘関節の屈曲時に約三度程度の制限があること(そのほか大体正常であること)が認められた。しかし、その発病については、原告がその負傷の日(昭和二三年一一月一九日)から昭和二五年六月五日まで加療を受けた川崎病院の診療録に何ら偏癰の症状に関する記録がないばかりか、同病院が原告の負傷入院から退院までの間(約三ケ月)一五回にわたり行つた腰椎穿刺による脊髄液及び同液圧の検査の結果が何れも正常であつたことを照らし合わせれば、本件負傷が右発病の原因であると認めることは現今の医学常識からみて極めて困難であると考えられた。

(ロ)  また、外傷性神経症については、前記証明書に「時々眩暈嘔気を訴え冷感を訴うることあり、精神症状短気怒り易い、積極性がない、根気に乏しい。眼瞼手指震顫を呈す」との記載があるが、右述のとおり、負傷後三ケ月の間原告の背髄液及び同液圧がともに正常であつたことは、その間脳実質に何らの損傷が無かつたことを意味するばかりか、その後といえども原告の脳実質に何らか「器質的」損傷のあることを示す医学的検査の結果は何もなく(右症状というのも多く本人の主訴によつたものである)、結局本症はむしろ、心因性又は体質による老人性のものであつて、後発にかかるように認められた。そして労災法にいう疾病とは「器質的」なものをいうと解釈すべきであるから、結局本症はこれを本件負傷に起因する疾病と認定することは到底できないと考えられた。

(ハ)  さらに、背椎変形症については、右証明書に第五、六、七胸椎突起に圧痛、強剛があるとの記載があるが、川崎病院の診療録には本症その他背髄に関する何らの異常も記録されておらず、従つて、その発病はこれもむしろ体質による老人性のものか又はその他の原因によるのであつて後発にかかるように認められ、本件の負傷に起因する疾病と認めるに足りないと考えられた。

(四)  そこで、同署長は、以上の結果を熟慮し、併せて諸般の事情を斟酌した結果、前記(三)(イ)記載の病状(外傷性右偏癰症)をもつて多大の疑問はあつたが、本件負傷に起因したものと認め、かつ、原告の右上下肢の運動緩慢の点を労災法施行規則別表第一身体障害等級表の第八級三号「神経系統の機能に著しい障害を残し、軽易な労務にしか服することができないもの」に、また、原告の右肘関節の角度制限を第一二級六号「一上下肢の三大関節中の一関節の機能に障害を残すもの」に該当するものと認定するのが具体的に相当と判断し、労働基準法施行規則第四〇条の規定により一級繰上をして本件七級の決定をしたものであつて、同署長が進んで、外傷性神経症、及び背椎変形症について、これを本件負傷に起因するものと認めなかつたのは、仮に客観的にそれが本件負傷に起因するものであるとしても、これを認定すべき適確な資料のなかつた当時としてやむを得ないところであつた。

(五)  故に、同署長が原告に対して本件七級の決定をしたことは正当であり、また仮に必ずしもそれが唯一正当な判断でなかつたとしても、同署長がかような決定をしたことは、上述の具体的な事情に照らして、まことに無理からぬことというべく、後日原告の出訴により、裁判所が同署長と異なる見解をとり、原告に対して障害等級表第三級に相当する障害補償をなすべきものと認めて本件決定を取消し、同署長がその裁判に拘束されることになつたとしても、それは裁判所の判断が法律上同署長の判断に優先することを意味するに過ぎず、この一事をもつて直ちに同署長が本件決定をしたにつき過失があつたとは言えないと考えると述べた。(立証省略)

理由

一、原告主張の如く労災法に基く神戸東労働基準監督署長の労働者災害保償保険給付の決定があつたこと、原告主張の原告と同監督署長間の右決定取消訴訟において原告が勝訴し右判決が確定したことは当事者間に争がない。

しかして、成立に争のない甲第一号証によると、右確定判決は主文において前記基準監督署長のなした保険給付に関する決定の取消を宣言し、その理由において、原告の災害に基く身体障害は(一)不完全痙性痳痺症状(二)外傷性神経症(三)外傷性背椎変形症の三つであり、(一)の障害労災法施行規則別表第一身体障害等級表第一級の五号「半身不随となつたもの」には該当しないが、他に右等級表にこれに該当する記載がないので同規則第二〇条第四項によりその障害の程度に応じ、同等級表の第五級の「一上肢の用を全廃したもの」又は「一下肢の用を全廃したもの」に準ずべきであるから、右障害を第五級とすべく、(二)の障害は「神経系統の機能に著しい障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」であるから前記等級表第八級の三号に、右(三)の障害は「背椎に著しい運動障害を残すもの」として同等級表第六級の四号に夫々該当するので、同規則第二〇条第一、二、三項により第三級と認定すべきであり、これを第八級の三号、第一二級の六号に該当するものとして、第七級と認定したのは違法である旨判断していることが明かである。したがつて、右監督署長のなした前記決定が違法であることは確定したといわねばならない。

二、そこで、右決定が前記署長の故意又は過失に基くか否かを考察す。

原告が負傷後被告主張の如き治療の過程(被告答弁事実(一))を経たうえ、同署長に対し本件の障害補償費の請求に及んだことは当事者間に争がなく、証人久保田忠明の証言並に同証言により真正に成立したと認められる乙第一ないし五号証、同第七ないし九号証、成立に争のない乙第一〇号証、成立に争のない甲第八号証を綜合すると、昭和二六年九月二八日原告より病状が固定したとの医師(阪大病院医師)の診断(乙第四号証、甲第三号証)を提出して右補償費の請求がなされたが、右診断書によると原告の身体障害は外傷性右偏癰兼背椎変形症、外傷性神経症となつていたこと、右署長は原告の身体障害が労災法施行規則別表第一の身体障害等級表(以下等級表という)のいずれの等級に該当するかを調査すべく、労働基準局専属医師竹田文次をして阪大病院より取寄せたレントゲン写真並に直接原告の身体につき診断させ、更に所属労働事務官久保田忠明等をして原告が治療を受けた川崎病院の担当医師より負傷の程度及び原告加療中の病状等を調査せしめると共に直接原告の身体障害を実地調査させ、これら諸調査に原告治療中監督署においてなしていた原告の病歴調査の結果等に基いて、前記診断書記載の原告の障害中、外傷性右偏癰をもつて、医学上本件負傷に起因するという点に疑問をさしはさみつつも、右負傷に起因したものと認め、原告の右上下肢の運動緩慢の点を等級表第八級の三号「神経系統の機能に著しい障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に、また、原告の右肘関節の角度制限を同等級表第一二級の六号「一上肢の三大関節中の一関節の機能に障害を残すもの」に該当すると判断し、前示外傷性神経症並に外傷性背椎変形症はいずれもこれを本件障害による症状であると判断する資料がないものとして、本件障害の等級認定より除外したことが認められる。

(一)  そこで、右監督署長が原告の身体障害の等級を決定するにいたつた前示経緯にてらすと、同署長が右偏癰症をもつて原告の本件負傷に起因する疾病と認定したことが明かであるから、右障害を本件等級認定に際し脱落したとの原告主張はこれを認めえないところであつて、問題は右障害につきなされた障害等級認定の当否にある。

成立に争のない甲第三、四号証、同第六ないし九号証を綜合すると、原告が負傷後治療を受けた前記阪大病院、神戸市立中央市民病院並に基準局の各医師の診断の結果では、原告の前記偏癰症は外傷性のもので上下肢の痳痺症状であることにつき略診断の一致をみている。

しかしながら、一方、前掲乙第一ないし三号証、成立に争のない乙第一四号証を綜合すると、原告が昭和二三年一一月一九日負傷当日から同二五年六月五日まで川崎病院で加療中、負傷による脳背髄の器質的損傷の有無を検査するため、度々背髄液並に液圧の検査がなされたが、別段の異常がなかつたことが認められる。また、前掲甲第三号証(成立に争のない乙第四号証と同じ)、乙第五号証に証人久保田忠明の証言を綜合すると、右阪大病院医師の診断も「右肩胛関節外転及び上方挙上難渋僅かに制限さる」とあり、基準局事務官久保田忠明が昭和二七年二月一日原告本人の身体障害につき直接実地調査したところ、右医師の診断と同一の結果をえたことが認められる。

いま、右認定の事実に徴すると、前記右偏癰症についていえば、これが本件負傷に起因するか否かの点につき疑念をさしはさみうる医学上の資料が存するのであり、したがつて、同署長が原告の身体障害中当時表見上明確に看取できる上下肢の運動緩慢、右肘関節の角度制限をとらえて前示等級の認定をなしてもあながち無理もないと考えられる。ただ、右認定は本件確定判決のそれと比照してやや外見的症状にとらわれた感がするが前示諸事情からみて右認定に過失があつたとは直ちに断じ難い。

(二)  更に、原告は、同署長が原告の身体障害中全く性質を異にする前記右偏癰症と神経症とを一つの障害として第八級の三号に認定したと主張して、これを非難している。しかしながら、先に認定したとおり、右署長は前記右偏癰症のみをもつて第八級の三号並に第一二級の六号の障害を認定し、外傷性神経症は本件負傷に起因するものとは認めなかつたのであるから、(この認定の当否の判断はしばらくおく)、二つの異質の障害を一つの障害として認定したわけではない。

ただ前記判決が右障害につき労災法施行規則第二〇条第四項(改正現行法第一五条第四項)を適用してその等級を認定しているのに比して、同署長の右等級認定は障害の外見的症状に重きを置いたため、原告の蒙る身体障害の全体的症状に必ずしも一致しない結果を招来したとの譏りを免れないところである。

ところが、前示規則第二〇条第四項は前記等級表に掲げられていない身体障害につき、その障害の程度に応じ、同等級表の身体障害に準じてその等級を定むべきことを規定したもので、右規定の適用に当つてはその性質上載量的判断の入る余地は多いと考えられるので、同規則の適用上唯一正当な判断を望むことは容易でないといわねばならない。かえつて、成立に争のない乙第一九号証の一、二に証人久保田忠明の証言を綜合すると、右署長が、原告の右偏癰症につき前示の如く上下肢の運動緩慢の外に更に右肘関節の角度制限の二点をとらえて夫々障害等級を認定したのは、当時の基準局の業務指針に反した取扱であつたが、同署長はむしろ原告の利益のためにかかる取扱に出たことが認められるので、前記認定には故意はもとより過失の責むべき点は認められない。

(三)  次に、前記署長が原告の外傷性神経症並に背椎変形症を本件負傷に起因するものと認めなかつた点につきみるに、前掲甲第三、四号証、同第六ないし九号証によると、右両症状は医師の診断書上はいずれも「外傷性」なる診断をみている。しかしながら、成立に争のない乙第二〇号証の一、二に証人久保田忠明の証言を綜合すると、障害補償の対象となる神経障害は器質的損傷によるものでなければならず、いわゆる災害神経症であつて被災者の心因性―例えば疾病恐怖等―によるものはその対象とすべきでないと解すべきところ、本件の場合先に認定したとおり、原告の脳実質に器質的障害を認むべき医学的検査の結果がなく、また、前掲乙第七、八号証によると、原告が治療中労働基準監督官が度々症状につき実地調査した結果、原告の神経症状は将来を憂悶する余りの心因性によるものと判断されたことが認められるので、同署長が右神経症をもつて心因性によるものとの疑のものとに本件補償の対象より除外したことは、器質的損傷に起因するものである点につき他に適確な資料のなかつた当時としては、やむをえなかつたものと認められる。

また、成立に争のない乙第一二号証、同第一五、一六号証によると、背椎変形症については一方老人性変化による点も存するとの診断がなされてをり、又その病変の部位、程度も各医師間に必ずしも診断が一致していない。したがつて、これ等の点からみると、右障害が外傷性のものであることを疑わ しめる資料が存したのであるから、前記署長の認定に過失があるとはいい得ない。

(四)  なお、原告は、前記署長が原告の治療中の病状を検討して障害等級の認定したことを非難する。なるほど、労災法による障害補償の等級決定をするには、負傷が治癒した当時残された障害の程度を基準とすべきことは原告挙示の法規上明白であるけれども、右補償は業務上の傷害に起因する障害を対象とする以上、はたして、右障害が業務上の傷害に起因するか否かの決定に際し、受傷後治療過程中の病状を斟酌すべきことは当然であるから、同署長が本件障害の等級決定に際し、まず原告の受傷後治療中の症状を検討して前記各障害が本件傷害に起因するものか否かを判断した点には何等非難すべき点はない。

むしろ、前掲甲第八号証によると、原告の前記障害は非常に複雑な病状であり、かつ、外傷を誘因とする私病に近い病気もあつて認定に相当困難性があつたことが認められるので、結局、同署長の前記認定は、当時の諸資料と具体的事情にてらしまことに無理からぬものと考えられるので、右認定に過失があつたとはいえない。

三、そうすると、その他の点の判断をまつまでもなく、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却すべきものとし、民事訴訟法第八九条を適用して主文のように判決する。

(裁判官 斎藤平伍)

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